ちょっと立ち止まる、ということの豊かさについて

このウェブサイトでお伝えできればいいなと思っていることの一つが、「ちょっと立ち止まるということの豊かさ」についてです。私が専門にしているフォーカシングでも、物事をちゃんと感じてみるためにちょっと立ち止まってみようよ、ということがとても大事にされています(国際フォーカシング研究所の昔のトップページには、たしか「What is Focusing? We invite you to pause…」と書かれていました)。しかし、立ち止まるということがなぜ豊かなのか、なぜ大事なのかを説明しようと思うと、これがなかなか難しく感じます。現代社会はなんといっても効率重視ですので、「立ち止まることが大事? 立ち止まることで、どんなトクなことがあるの? どんな効果があるの?」とすぐに訊かれてしまうからです。もちろん、フォーカシングにしてもマインドフルネスにしても、立ち止まることの効用については説明がなされていますし、実際、立ち止まることは役に立ちます。しかし、「立ち止まる」ということのポイントのひとつは、効率を追い求めることや「役に立つことをする」ことそれ自体からちょっと離れてみる、ということではないかとも思うのです。

私たちは、効率よく物事をこなし、なにかの「役に立つ」ことをたくさんして、「先へ先へ」と進みながら、最終的に何を大事にしたくて、どこにたどりつきたいのかということを見失ってしまうことがあるような気がします。自分の人生において本当に大事なことを見つけるためには、おそらくどこかで(そして時々は)立ち止まる必要があるように思うのです。もちろん、立ち止まればすぐになにかが見つかるというわけではないかもしれません。立ち止まることは、自分の内側に、あるいは自分を取り巻く環境にある場所を見つけ、そこになにかが育まれるためのスペースが生まれることを可能にしてくれる、という感じがします。

人によっては立ち止まるのは怖ろしいことでもあるようです。立ち止まることで、自分の内側に抱えているものが見えてしまったり、むなしさが表面化してしまったりすることがあるからです。それでも立ち止まらざるをえなくなるような時は、おそらく人には、一緒にそこにいてくれる誰かが必要なのだろうという気がします。

 

年末の空気感

今年と来年、年末と年始を隔てているラインは、ただ人間が決めただけのものだと思うのだけれど、不思議と年末の空気と年始の空気は違って感じられるような気がします。人間にとって、というか生物にとってなのかな、サイクルがめぐって新しいものがはじまるという感覚はなにか根源的なものなのかもしれません。

個人的には年末の空気感が好きです。やっぱり不完全で中途半端で思うようにはいかなかったこの一年を振り返り、漠然とした感慨にひたりながら、一年ぶんのいろんな思いをいとおしむ(というほど感傷的でもないかな?)…でもいくらやり残したことがあったり未練たっぷりだったりしても、私たちはいかんともしがたく、新しいはじまりの晴れやかな空気の中にぽんと押し出されてしまうのですが。

可能性を実現するということ

よく、子どもの可能性は無限大だ、ということを言います。小学生ぐらいの子どもにとって、自分の前に可能性がひろくひろく広がっているという感覚はとても大事なことのように思います。ただ、可能性を実現する、ということを考える時、可能性は実は無限大のままでは実現しません。ある可能性を実現するということは、他の可能性を捨てることに他ならないからです。

ある可能性を選びとって何ものかになるということは、無限大に思われた可能性を狭めて、自分自身が凡庸な一市民であることに甘んじて(あるいは、人によってはいわゆる「普通の」人生をあきらめて)、夢ではなく日常の中に生きていく道に入るということを意味します(もちろん秘めた夢を持ちながらかもしれませんが)。このことが、人によっては、いかに怖いこと、悲しいことであることか。有限な人生に足を踏み出せずにいる人に「現実を見ろ」という声がかけられることもありますが、そんな時に私たちはひょっとしたら、人生が有限なものであることに直面した時の自分の悲しさを忘れているのかもしれません。セラピストの役割はおそらくは、現実に直面させることというよりも、それは怖いことだよね、悲しいことだよねということに思いをはせつつそこにいることなのかなと思います。

フォーカシング・ワークショップを企画する予定です

フォーカシングの講師をさせていただいていた機関が業務を縮小することになり、そこではフォーカシングのワークショップができなくなることになりました。それで今、堀尾直美さんや阿部利恵さんと一緒に、新しいワークショップ企画のための団体を立ち上げる準備をしています。名前は「フォーカシング・ネットワーク」となる予定です。

詳細が決まりましたら、このウェブサイトでもお知らせいたします。皆さまぜひ、時折チェックしてください(サイトもがんばって更新しないと…!)。ワークショップについてのお問い合わせは、ウェブサイトの「個別セッションのご案内」の中の連絡フォームにてお願いいたします。

傾聴と、内なる子どもに寄り添うこと

仕事で、大学院の学生さんを対象に傾聴のワークをしています。傾聴とは相手の話に耳を傾けて聴くことをいい、これがカウンセリングの基本であると同時に中核でもあります。

傾聴を教えるということをしていて、いろいろなことを考えます。相手の話に耳を傾けるというのは普段私たちが普通にしていることですので、特別に構えずリラックスして臨めばいいと思うのですが、一方で本当にちゃんと耳を傾けるということができるためにはやはり意識的に注意するべき点を心に留めてトレーニングすることも必要で、でもそうすると緊張してしまって不自然になってしまって…というジレンマを、院生さんを教えていると感じるのです。自分はクライアントさんの話に耳を傾ける時、どんなふうにしているのだろう、どんなことを大事にしているのだろう…ということを、改めて振り返ったりしています。

先日も、相手に質問をする時にどのようにするか、ということが話題になりました。クライアントさんの現状を的確に把握するためには、クライアントさんがまだ語っていないことをこちらが訊く必要があります。でも、クライアントさんが「いろいろ訊かれた」と感じるような面接はあまりいい面接とは言えません。クライアントさんが「いろいろ聴いてもらえた」と感じられる(そしてセラピストが「いろいろ聞かせてもらった」と感じられる)面接を目指したいと思うのです。どうしたらそうなるのだろう、どうしたらその雰囲気というか、そういう場として面接の対話を整えていけるのだろう、それをどうやったら院生さんに伝えられるだろうということを考えています。

ひとつ、仮にですが考えているのは、「その人の中の子ども」に寄り添うというイメージを持つのはどうだろう、ということです。たとえば小学3年生ぐらいの子がぽつんと座っている時に、私たちはどんなふうに近づいて、どんなふうに横に座って、どんなふうに声をかけるだろう…もちろん、相手を子ども扱いするということではありません。相手が子どもみたいなものだからと見くびってそうするのではなく、誰でも(もちろん自分も)子どものように繊細で、いろいろなことを感じて傷ついたり無邪気に喜んだりしている部分を内に持っていて、そしてそれはけっこう大事な場所だと思うのですーその場所はひょっとしたら奥の方に隠れていて、なかなか見えないかもしれませんが。ひとりの大人としてのその人と真摯に向きあいつつ、同時に、そこには繊細な子どもの部分もきっとあると思って、その部分にそっと寄り添ってもいる。そんな関わりとして傾聴の場をイメージしてみるのはどうかな、と、最近考えてみています。

少しずつ書いていこうかと。

ブログをしばらく書いていなかった…というか、実質的に書きはじめていないまましばらくほうっていました。

まずは固定ページを充実させて…などと思っていましたが、ここのところ少し忙しくなったこともあって、まずは気軽に、少しずつ、ブログを書いていこうかと今は考えています。

フォーカシングについて思っていることを少しずつ書いていくことが、結果的にフォーカシングのていねいな説明ということになっていた、というふうになればいいなあと思っています。

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最近はマインドフルネスという言葉が注目されるようになっていて、心理の領域の人間ではない人たちの関心も集めているようです。私もマインドフルネスには関心があります。デヴィッド・ロームという方が(8月に来日もしました。地味だけれど個人的にはとても好きで、シンプルで自然な思慮深さを湛えた人でした)「マインドフル・フォーカシング」という本を書いていて、フォーカシングとも似た部分があります。この流れで、フォーカシングに興味を持ってくれる人も増えるといいなあ、と思いますが…どうかな。

 楽天ブックス:マインドフル・フォーカシング

マインドフルネスは、いろんなこと(今自分が感じていること)にシンプルに気づく、気づいてその中に自分自身としてしっかりいる、ということをちゃんとやっていきましょう、ということですね(元は仏教の瞑想から来ています。禅僧の藤田一照さんがマインドフルネスをテーマにお話をされたりしていますね)。フォーカシングも、今自分が感じていることに気づくプロセスですが、自分自身と穏やかに対話するということが中心になります。マインドフルネスはフォーカシングの世界を広げてくれるように思いますし、フォーカシングはマインドフルネスに、なんというか、そこに意味を見出していくとか、日常の中の気持ちの動きに関わっていくとか、そういった次元を加えることができるように思っています。

よろしくお願いします

ウェブサイト(ブログ)をはじめました。フォーカシングや心理療法や心理学、あるいはジェンドリンの哲学などについて、思ったことを書いていこうと思っています。