ちょっと立ち止まる、ということの豊かさについて

このウェブサイトでお伝えできればいいなと思っていることの一つが、「ちょっと立ち止まるということの豊かさ」についてです。私が専門にしているフォーカシングでも、物事をちゃんと感じてみるためにちょっと立ち止まってみようよ、ということがとても大事にされています(国際フォーカシング研究所の昔のトップページには、たしか「What is Focusing? We invite you to pause…」と書かれていました)。しかし、立ち止まるということがなぜ豊かなのか、なぜ大事なのかを説明しようと思うと、これがなかなか難しく感じます。現代社会はなんといっても効率重視ですので、「立ち止まることが大事? 立ち止まることで、どんなトクなことがあるの? どんな効果があるの?」とすぐに訊かれてしまうからです。もちろん、フォーカシングにしてもマインドフルネスにしても、立ち止まることの効用については説明がなされていますし、実際、立ち止まることは役に立ちます。しかし、「立ち止まる」ということのポイントのひとつは、効率を追い求めることや「役に立つことをする」ことそれ自体からちょっと離れてみる、ということではないかとも思うのです。

私たちは、効率よく物事をこなし、なにかの「役に立つ」ことをたくさんして、「先へ先へ」と進みながら、最終的に何を大事にしたくて、どこにたどりつきたいのかということを見失ってしまうことがあるような気がします。自分の人生において本当に大事なことを見つけるためには、おそらくどこかで(そして時々は)立ち止まる必要があるように思うのです。もちろん、立ち止まればすぐになにかが見つかるというわけではないかもしれません。立ち止まることは、自分の内側に、あるいは自分を取り巻く環境にある場所を見つけ、そこになにかが育まれるためのスペースが生まれることを可能にしてくれる、という感じがします。

人によっては立ち止まるのは怖ろしいことでもあるようです。立ち止まることで、自分の内側に抱えているものが見えてしまったり、むなしさが表面化してしまったりすることがあるからです。それでも立ち止まらざるをえなくなるような時は、おそらく人には、一緒にそこにいてくれる誰かが必要なのだろうという気がします。