心理学の概念をどう使うか

心理学には、人の心の動きを説明するためのいろいろな概念があります。しかし心理学の概念の多くは、「人の心というのはこういうものなんですよ」という「真実」を明らかにするものではなく、「人の心をこういう視点から見ると、少し理解がしやすいことがありますよ」という「視点」であることに注意が必要です。心理学の概念は、いわば人の心を理解するための道具です。人の心は、使う道具によってさまざまに異なる側面を見せます。体重計を使えば体重という側面がわかるし、身長計を使えば身長という側面がわかるのと同じです。

心理学は少し学ぶとわりと面白いので、自分の知っているお気に入りの概念を使って人の心の動きを説明してみせるということをしたくなりがちです。しかし、これはちょっと危険なことです。手ごろな概念で人のことをわかったつもりになってしまうと、私たちはそれ以上、その人のことをわかろうとはしなくなってしまうからです。「ああ、あの人は〜だね」「この人のやっていることは要するに〜だよ」と物知り顏で言うのは簡単なのですが、そうすると私たちはその人を、その概念の一例としてしか見られなくなってしまいます。つまり、概念がその人を本当の意味で理解することの妨げになってしまうのです。これは、体重を測っただけでその人の健康状態を全部わかったと考えるようなものです。しかし、ある概念の視点から人を見ることで、目の前にいる生きた「その人」のありようがいきいきと理解されることもあります。

たとえば、「ADHD」という概念があります。これは、生まれつきの特性として集中力のコントロールなどに難しさがあるという障害です。ADHDの人はちょっと人並み外れて忘れっぽかったり落ち着きがなかったり、片付けやスケジュール管理が不得意だったりするのですが、その他の点では普通なので、「あいつは身勝手な奴だ」「だらしがない、ちゃんとしようという気持ちがない」と思われてしまうことがあります。ADHDという概念は、人間には生まれつきそういうことがありうるのだ、その人の落ち着きのなさは本人の落ち度ではないのだということを教えてくれます。しかし、もし私たちがその人を見て「ああ、あいつはADHDだな」と決めつけてそれ以上その人のことをわかろうとするのをやめてしまうのであれば、ADHDという概念はあまり役に立っているとは言えず、下手をすれば偏見の温床となってしまうでしょう。それならこんな概念はない方がましです。でも、ADHDという概念を通してみることで、その人がどんな世界に生きていて、どんな思いをしながら、どんな苦労をしているのかがしのばれ、それも自分でもいかんともしがたくそうなのだということが理解できる道がひらけるのであれば、ADHDという概念はとても役に立っていると言えます。