日常が変わるということ

コロナウイルスの影響の中で、多くの人の日常生活は、これまでと大きく変化しているものと思います。新聞などを見ていると、コロナ後の世界はコロナ前とは別のものになるのだとか、そういった言葉が目に入ってくることがあります。こういうことがあると、この先自分の生きている世界がどうなっていくのか見通しが立たないことに、不安を感じます。もちろん人間には先のことなどわからないに決まっているのですが、日常生活を送っていると、この先も同じようにこの生活が続いていくという感覚を、いつの間にかなんとなく持ってしまうところがありますね。それは退屈なようでもありますが、きっと安心を与えてくれている感覚でもあるのでしょう。

考えてみると、9年前の2011年には東日本大震災があって、やはり日本に住む私たちの日常は大きく揺り動かされました。原発のこともあって、やはり震災後は震災前とは私たちが日常を生きる世界は変化してしまったように思います。2001年にはアメリカの同時多発テロ事件があり、テレビで貿易センタービルに飛行機が衝突する映像を見て、世界はどうなってしまうんだろうと思ったものでした。1995年には阪神・淡路大震災が、1990年代の初めにはバブルの崩壊がありました。もちろんそれ以外にも、熊本や北海道や新潟の地震、各地の水害と、日常が揺るがされるような事件は定期的に起こっています。

今の生活がずっと変わらずに続いていくということは、実際にはありえません。そもそも人は歳を取りますし、親が歳を取ったり、子どもが大きくなったりというふうに、環境も少しずつ確実に変わっていきます。日常というのは、仮の安定状態をしばらく保ちながら、ゆっくりと、あるいは時々なにかのきっかけで急激にシフトして、また別の形の安定状態に入っていくものなのかもしれません。それはその時には、喪失感とか、あるいはこれまでの世界が終わってしまうような感覚を抱かせるものかもしれません。でも、また「別の」「変わらない日常」が、やがてやってきます。

変化は不安を生みますが、今の生活の中で、ひとつひとつの問題に対処し、ひとつひとつの時間を丁寧に過ごしていくことが大事なのかな、と私自身は思っています。それをしていれば、私たちの生命は新しい日常をちゃんと作り上げて、その中にちゃんと根を下ろしていくように思うのです。