沈黙を聴く(ちょっとした瞑想のすすめ)

京都の嵐山に行ってきました。龍安寺と竹林の道は人がいっぱいで(外国の方にとても人気のようです。修学旅行生も多かったです)とても賑やかでした。その後に、常寂光寺へ。ここは人が少なくて(多分紅葉の季節の方が人気なのです)、でもとても素敵なところで、かなりゆったりと時間を過ごしました。

龍安寺でも常寂光寺でもそうですが、私はかなりの間、一人でただ座っていたので、ちょっと変な人に思われたかもしれません。でも、せっかく「ここ、好きだな」と思える場所に身を置くことができるのだから、ただ「観光」して終わるのではなく、ちゃんとそこの空気を味わいたいと、最近は思っています。それで、ちょっとした瞑想をするのです。個人的にはこの「ちょっとした瞑想」はとてもいいと思っているので、他の人がいいと思うかどうかはわからないのですが、紹介することにします。

まず、居心地よく座れる気持ちのいい場所を見つけて、座ります(立っていてもいいし、少し歩きながらでもいいです)。ちょっと深呼吸をします。古いお寺にあがっているような時には私は、自分がその場所に抱えられている、受け入れられているという感覚を感じてみたりもします。それから、聞こえてくる音を意識します。自分を取り囲む音を、近くの音にも遠くからの音にも、大きな音にも微かな音にも、同じように自分をひらきます。これは何の音だとか、気持ちのいい音だとか騒音だとか、自然の音だとか電子音だとか頭でジャッジするのではなく、ただそのまま聞いて、音の流れの中に身を置くようにします。

それから、そういった音の背景にある沈黙に耳を傾けます。都会だと背景にある沈黙を発見するのは少し難しいのですが、お寺とか高原とか森とか、そういうところだとちゃんと、音の背景に静けさが広がっているのを聴くことができると思います。そしてこの沈黙というのは、その場所の広がり、空間の広がりに他なりません。ですから私たちはそこで、言うなれば、空間そのものに耳を傾けているということになります。さらに、自分の周囲の狭い空間だけでなく、少し意識を広げて、お寺の境内の全体とか、森のずっと奥の方までとか、その広い空間、大きな沈黙に耳を傾けます。その沈黙の中に「私」がいる、ということに注意を向けてみてもいいかもしれません。その沈黙の中で静かに動いている「私」の呼吸、を意識してみます。好きなだけ、そうして時間を過ごします。

以上です。だからどう、ということはないのですけど、私はそんなふうにしてその場にいるのがけっこう好きなのです。ひょっとしたら、カウンセリングにも同じような瞬間があるかもしれない、とも思います。カウンセリングでは多くの場合、私たちは自分のまわりの空間というよりも、自分の内側の空間、自分の内側のいろんな雑音の背景にある静けさに耳を傾ける、ということになるのでしょうけれど。