「わかってしまわない」能力

「心理士です」とか「カウンセラーをしています」という話をすると、時々「じゃあ、こうして話していると、心を読まれちゃうかな?」と言われることがあります。もちろん相手の人は冗談で言っているのですが、でも案外、心理士のイメージというのはそういう感じなのかもしれません。実際には、全然そんなことはないのですが。テレビで、メンタリストというのでしょうか、相手が何を考えているかが手にとるようにわかる人を見たことがありますが、私は残念ながらそんな器用なことはできません。

「残念ながら」と書きましたが、実は、そんなに残念なわけでもないのです。私は、心理カウンセラーの専門性は相手の心がたちどころにわかるというところにはないように思っているからです。むしろ大事なのは、相手の心を「わかってしまわない」能力であり、「人の心はそうそうわかるものではない」ということがわかっていることであるような気がしています。

キーツという詩人が、「ネガティブ・ケイパビリティ」、つまり「負の能力」というものについて書いています。これは、不確実さに耐える能力のことを指します。私たちは早く結論や解決策を導き出すことを重視しすぎて、不確実さに耐える能力をすり減らしているところがあるのかもしれません。確かに、ビジネスのことであれば、早く効率的に物事を決めて先に進めるのが望ましいのかもしれません。しかし心に関わることがらでは、あるいは人生に関わるようなことがらでは、これはこうだと安易にわかってしまうのではなく、しばらくのあいだ気持ちを抱えていたり、じっくりと自分に向きあったり、さまざまな見方や物事の諸側面をあれこれ考えてみたりすることが大事になってきます。

私たちは、「わかった」と思ってしまうと、もうそれ以上そのことをわかろうとはしなくなってしまうところがあります。実際には、何かを本当に全部わかってしまうことなどないのかもしれません。人の心や自分自身の心にいたってはなおさらです。私たちは自分が相手のことを全部はわかっていないと承知しているからこそ、相手の言葉に表面的にではなく豊かに耳を傾けることができ、また自分自身のことを全部はわかっていないと知っているからこそ、自分自身に関心を持ってまなざしをむけることができるのではないか、と思います。