「遊び」について

子どもの心理療法では、言葉のやりとりではなく、遊びを通じておこなうことが少なくありません。子どもは十分に言葉でやりとりができないから、仕方なく遊びを使って心理療法をする…と思われるかもしれませんが、ひょっとしたら逆に、大人は上手に遊べないから、仕方なく言葉でやりとりしている、というのが本当なのかもしれません。そのぐらい、遊ぶということには豊かな治癒力があります。遊びを通じた心理療法は遊戯療法と呼ばれ、これは「play therapy」の訳です(日本でもそのまま「プレイセラピー」と呼ばれることが多いです)。

「play」という単語は、遊ぶという意味の他に、演じるとか、演奏するといった意味を持っています。「play」はスポーツの場合にも使いますが、スポーツは必ずしも「遊び」ではなく、真剣勝負の雰囲気を持っていますね。「play therapy」の意義を考える時、あるいは「play」するということが人間にとって持つ意味を考えてみる時、この単語の意味の広がりは豊かな連想と奥行きをもたらしてくれるように思います。「play therapy」は決して単なる遊びではなく、いや、遊びとは決して「ただの遊び」ではなく、真剣に何かに没頭したり、自分以外の何かになってみたり、何かを表現することでそこに豊かさを生み出すような営みなのです。

ところで、日本語の「あそび」も「play」に負けず劣らず豊かな意味の陰影を帯びています。たとえば、車のハンドルの「あそび」という言い方をすることがあります。ハンドルを動かした時、動かしても車の動きに影響が出ないような余裕の部分、つまり実務的な意味をもたないゆとりのことを「あそび」と言うのですね。「あそび」はあまりたくさんあると困るのですが、まったくないと、それはそれでやりづらいものです。「あそび」が生活の中にあるというのは、実はとても大事なことなのではないかと思います。この「あそび」は、「仕事をしないで遊ぶ時間がどれだけあるか」という問題ではありません。一日中仕事で忙しいサラリーマンでも、仕事の中に「あそび」がある人もいますし、何もしないで遊んでばかりいるように見える人でも、生活の中に「あそび」が持てないでいる人もいます。おそらくは遊戯療法でも同じなのでしょう。遊んでいるようでいても「あそび」が持てない子どもにとって、「あそべる」ようになることはきっと大事な意味を持っているに違いありません。そして言葉でやりとりするセラピーでも、「play」や「あそび」が動き出すことはとても重要です。

精神分析家で小児科医でもあったウィニコットという人は、心理療法における遊び(play)の重要性を指摘した人です。そのうちにウィニコットについても何か書こうかなと思います。