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歩くのが好きです

歩くのがわりと好きです。歩くのは気持ちがいいし、そして個人的には、歩くことには心身のバランスを整える作用があるのではないか、と(あくまで個人的に)思っています。

ただし私の場合、気持ちよく歩けるためにはいくつか条件があります。一つは、荷物があんまり重くなく、そして左右のバランスが取れていて手が空いていること(やっぱりリュックがいいですね)。一つは、あまり人が多かったり道が狭かったりせず、自分の身体が自然にゆったりとした横幅を保てること(肩すぼみでないリラックスした姿勢が取れるように)。そして、急ぐ必要がないこと、です。

そして、自分の身体が欲する、自分の身体にとって自然なペースで歩きます。私の場合はですが、この自然なペースは、多くの場合、意外とゆっくりです。普段はきっと、できるだけ早く目的地にたどり着こうとして、けっこうせわしない気持ちで歩いているのでしょう。普段より相当ゆっくり歩いてみてはじめて、自分の身体が気持ちいいと感じられるようなペースが見つかることが多いのです。

もう一つ大事だと思うのは、目的地までの距離を意識せず、一歩一歩を大事にしながら歩くことです。急いでいる時は、目的地に早く着くことばかり考えて、前へ前へと歩みを進めようとしてしまいますが、そういう時は一歩一歩の歩みは、早く済ませてしまった方がいいもの、やりたくないのにやらなければならないものになってしまいます。身体を急かして追い立てると、歩くことは身体に無理なバランスを強いることになりかねません。でも身体のペースを大事にしながら、前へ前へと急ぐのではなく、一歩一歩を大事に歩くことができると、歩くことがちょっと楽しくなってきます。そしてそんなふうに自分のペースを楽しめている時には、自分が少しずつ、自分本来のバランスを取り戻していっているような感じがするのです。

時間の流れと「今ここ」

前の投稿から、1ヶ月以上がたってしまいました。あっという間に8月が終わり、そして9月に入ってもう一週間…時間があまりにはやく経ってしまうので、本当に驚いてしまいます。ついこの間、今年になったように思うのですけれど。

歳を取るほど時間が経つのをはやく感じる、というのは心理学では時々話題になる現象ですね。なぜ歳を取るほど時間が経つのがはやくなるのかの説明も、いくつか聞いた気がします(たとえば歳を取ると、新鮮で目新しいものがなくなるから、とか…)。それが本当なのかどうかはよくわかりませんが。

時間がはやく経つということについて、私はこんなふうに考えることがあります。人が、時間がこんなにはやく経ってしまった、と思う時、その人は別に、目の前を通り過ぎる時間を観察して、ああ、はやく通り過ぎているなあ、と思うわけではありません。「時間がこんなにはやく経ってしまった」と思う時、私たちは過去のある時点を思い返して、その時と今とのへだたりを測っているのです。つまり、時間がこんなにはやく経ってしまったなあ、と思っている時、私は「今ここ」での時間を生きていないのです。

マインドフルネスの考え方を学んだり、禅に興味を持っていたりすると、あの時がこうだったとかこれから先がどうだとか言う前に、今この瞬間をしっかりと生きられたらいいのになあ、と思います。今年の1月がどれほど「つい最近」に思われようとも、9月のこの1日を、大事に生きる。40代前半がどれほどあっという間に過ぎ去ってしまったように思われても、45歳の今日を今日として生きる。そう思い直して、しっかりと「今」に立って感じてみると、今この瞬間の時間は、ちゃんと、ゆったりした流れで流れているようです。

「期待」と「信頼」

まだ学生の頃だったと思いますが、先輩に「期待と信頼は違う、期待はせずに信頼しろ」と言われたことがあります。以来、この言葉は私の中にずっと残っていて、大事な指針の一つとなっています。

何が期待で、何が信頼なのだろう、と考えることがあります。たとえば、「この人は悪いことはしないだろう」とか、「この人は約束を破ったりしないだろう」というのは、期待でしょうか、信頼でしょうか。普通は、「私はあなたを信頼している」というのは、その人が悪いことをしたり約束を破ったりしない人だと信じている、ということを意味しているようにも思います。しかし一方で、人は誰でも魔が差したり、道を踏み外したりしうるものだとも思います。もしそういうことが起こったら、私たちはもうその人を「信頼」できないのでしょうか。でも考えようによっては、それは「この人はきっとこういう人でいてくれるだろう」という「期待」に過ぎないのではないか、とも思うのです。

私は、こんなふうに考えてみることがあります。信頼するというのは、その人が実際に何をするか、ということとは少し違う次元の事柄ではないだろうか。つまり、その人の中のどこかに、自分の行いや人生を真摯に考えようとする気持ちがあるとか、なんとか「自分自身であろう」と奮闘しているその人がいるとか、そういうことを信じるということが、信頼ということではないだろうか。

その人のそういう部分は、今は隠れていて、表には見えないかもしれません。それにその人のその部分は、私の側で考える正しさとは異なるものを正しいと考えるかもしれません。その意味では私は、私が「正しい」と思うような振る舞いをその人がするだろうと「期待」はできません。しかし、その人なりに「自分」として考えて、自分なりに一生懸命に生きようとしている「その人」がきっとどこかにいるということは、信頼できたらいいなあと思うのです。

なんにしても、人を「信頼する」というのは難しいことだなあと思います。おそらく、私たちは気がつくといつの間にか人に期待はしているものですが、人を信頼するにはきっと、信頼しよう、という意志が必要になるのでしょう。

NVCの考え方

ノンバイオレント・コミュニケーション(NVC)というものがあります。これは、何と言うのでしょう、カウンセリングの技法でもないし、人の心に関する理論というのも少し違うような…。人とコミュニケーションをとる時に、こんなふうにコミュニケーションをできるといいよね、という、ひとつのコミュニケーションの取り方ですね。NVCの創始者であるローゼンバーグという人は、ロジャーズのお弟子さんだった人のようです(ロジャーズというのは、私が大事にしているパーソン・センタード・アプローチという考え方の創始者です)。

NVCではコミュニケーションを、観察、感情、ニーズ、リクエストという4つのポイントで見ていきます。たとえば誰か他の人の振る舞いをみる時に、その人がどんな状況でどんな行動をしているのか(観察)、どんな気持ちでいるのか(感情)、その人は何を求めていたり何を必要としていてそんな気持ちになっているのか(ニーズ)、という観点から見てみます。私たちは相手がどんな気持ちかということは気にしていることが多いと思いますが、その背景にその人のどんなニーズがあるのかということには目をあまり向けていないように思います。しかしニーズに目を向けてみると、少し相手に優しくなれるような気がします。怒っている人がいるとして、「その人は何を必要としているのだろう、自分を尊重してもらうことなのか、みんながルールを守ることなのか…」と考えてみると、その人の気持ちがもう一歩わかるような気がするのです。

自分自身の気持ちについてもNVCでは、観察と感情とニーズを分けて伝えることを勧めます。相手の振る舞いを見て、「勝手なことしないでよ!」とただ怒るのではなく、その人がしているどんなことに接して(観察)、自分としてはどんな気持ちになるのか(感情)、そして自分としては何を必要としているのか(ニーズ)を分けて伝えるわけです。「あなたが部屋を片付けないでいると、自分としては居心地が悪いし、苛々した気持ちになる。私は、完璧にではなくてもいいけれど、部屋がある程度片付いていて、通路が歩ける状態になっていたり、テーブルの上が使える状態になっていてほしいと思っている」というように。そして、(命令ではなく)リクエスト、つまり具体的な要望を伝えるわけです。「だから、この部屋から離れる時には、出したものを片付けてほしいのだけれど」。ポイントは、相手のことを「あなたは…だ!」と断罪するのではなく、あくまで自分自身の気持ちやニーズとして伝えるというところにあるのだと思います。

NVCについては日本語訳の本も出ています。興味のある方はチェックしてみてください。

認知行動療法とブリーフセラピーについて

カウンセリングの世界では、現在、認知行動療法と呼ばれるやり方がかなり勢いを持っています。認知行動療法は効果の実証研究が進んでいること、仕組みがわかりやすく納得しやすいことが、その理由の一部であろうと思います。私は認知行動療法を専門にはしていないので、いろいろと地味に反論(といいますかそれ以外の方法の弁護)をしたくもなりますが…でも、認知行動療法的な考え方やアプローチが、カウンセリングの中である範囲で役に立つことは確かです。そして、そのようなアプローチが必要となるような問題や、そのようなアプローチが合っているクライアント(来談者)さんがいらっしゃることも確かです。

私は認知行動療法は専門にしていないと書きましたが、認知行動療法的な視点からのアプローチ(認知的なアプローチや、行動的なアプローチ)もしないわけではありません。ただ、私は、いわゆる「認知行動療法」という名のもとにそういったアプローチを導入するよりも、対話の中にそのような視点が自然に織り合わされていく方が好みです。そして対話の中に認知的・行動的なアプローチが織り合わせていく上では、「認知行動療法」と考えるよりも、ブリーフセラピーという方法、中でも解決志向アプローチと呼ばれる考えの枠組みで考えていく方が、自分にとっては自然にできるように感じています。私の感覚では、解決志向アプローチは認知行動療法と共通した部分を持ちながらも、より柔軟で、軽やかさのある方法のような気がしています。

いや、柔軟であるかどうかは、アプローチの種類ではなく、カウンセラーによるのかもしれませんね。柔軟な認知行動療法家は、きっとたくさんいると思います。認知行動療法ではなく他のアプローチを推したくなるのは、「売れている」認知行動療法に対して私の中に少しやっかみがあるのかもしれません。

認知行動療法やブリーフセラピーは、どちらかというと「先に進めようとする」アプローチなのだと思います。私が大事にしたいと思っているのは、「ちゃんととどまって、今の自分に(穏やかに)向きあう(それによって自ずと先に進んでいく)」やり方です。そういうやり方は、あんまり流行らないのかもしれないけれど(…やっぱり、やっかんでいるかな)。