子供は預かりもの?

親にとって子供とはどんな存在か、ということを考えることがあります。子供と一緒にいる時間が幸せ、と感じるとしても、子供は親のためにいるわけではありません。子供に対して親は責任を負っています。でも親が「子供にとってこれがいいだろう」という自分の考えだけで物事を進めて、子供の意見を考慮しないとしたら、まずいのだろうと思います。一方で、子供の意見に従っているばかりなのは、やっぱりあまりよくないような気がします。親は子供の奴隷ではないし、子供は親の所有物ではありません。でも、それぞれ独自の存在だ、親の人生と子の人生は別物だと単純に割り切るにしては、特に小さな子供にとって、親の影響はあまりに大きいようにも思います。

個人的に、こんな考え方はどうだろうか、と思っている考え方があります。親は、子供の人生を一時的に預かっている、という考え方です。苗木を預かって育てるような感じです。預かっているあいだにも子供は世の中の刺激を受けて育っていきますから、箱にしまっておくわけにはいきません。それに、本来の持ち主の意向も想像して育てる必要があります(預かっている植木を、勝手に自分好みに剪定するわけにはいきませんよね。手入れは必要でしょうが)。預かっているのだから、自分のものにしてしまうわけにはいきませんしね。そして、預かっているのだから、やがてはちゃんと返さなければなりません。誰にかというと、大人になったその子にです。18歳だか20歳だか(あるいは、親は生涯にわたってその子の人生を預からなければならない、そんな宿命を持って生まれてくる子もいますが、その場合には親か子のどちらかが亡くなる時ということになるでしょうか)、とにかく返すべき時に、親はその子の人生のようなものを、その子に、はい、と返すわけです。その時その子は、私たちにこんなふうに訊くかもしれません。ちゃんと大事に預かってくれた? 預かっている間、ちゃんと大事に育てておいてくれた? と。私たちはきっとこんなふうに答えるのかな、と思います。わからない、預かっている間にいろいろあったし、思いもよらない方向に伸びるものだから、どうするのが正解か迷ったこともたくさんあった、でもまあ最善は尽くしたよ、と。