マインドフルネス

マインドフルネスとは、「マインドフルであるということ」。マインドフルであるとは、たとえば集中して坐禅を組んでいる時や、部屋の雑巾掛けに集中している時のような、ある心理的な状態にあることを言います。このマインドフルネスが、いま、一種の流行となっており、心理療法の世界でも注目を集めているのです。

マインドフルネスの流行は、ジョン・カバット・ジンという人がストレスなどへの対処法として仏教の瞑想をもとにしたマインドフルネス瞑想を提唱したことに端を発しています。この方法に認知行動療法を実践していた人たちが注目し、マインドフルネスを中心とした新しい認知行動療法の体系を開発していきます。この流れは第三世代の認知行動療法と言われます。

ストレスには物理的なストレスと心理的なストレスがありますが、私たちの日常を取り巻くストレスの多くは心理的なストレスです。心理的なストレスの特徴の一つは、実際にストレスになっているような事柄や状況が目の前になくても、そのことについて思い悩むことでストレスがずっと続いてしまうことです。心の不調は、このようにストレスになるような事柄を常に考えているということから生まれることが少なくありません。このことは、担いでいる必要がない時にも重い荷物をずっと担ぎつづけるようなものです(しかも心理的なストレスの場合には、思い悩むうちに荷物がどんどん重くなってしまうこともあるのです!)。ずっと荷物を担いでいると、私たちの心身はやがて耐えきれなくなって倒れてしまうことになります。人間、生活をしていればいろんな荷物を担ぐことになりますが、必要のない時には荷物を下ろして、生き生きとした柔軟な心身を取り戻す必要があります。マインドフルネスは、「今」に集中することで、柔軟な心身を取り戻すのです。

ジョン・カバット・ジンはマインドフルネスの練習のための方法をいくつも紹介していますが、よくあるやり方としては、座っておこなう方法があります。坐禅と基本的には同じですが、イスに座っておこなってもかまいません。しっかりどっしりと座って、自分の呼吸にただ注意を向けます。そうすると、おそらくすぐに、いろいろと余計なことが頭に浮かんでくると思います。用事を思い出して立ち上がりたくなるかもしれません。何かが浮かんできたら、ああ、こんなことが気になっているんだなとか、こんなことが浮かんでいるなということに気づいておいて、その考えを追いかけもせず追い払いもせずに、また呼吸に注意を戻します。それだけです。これは、何もしないということを一生懸命にやること、あるいは、「今ここ」にちゃんと存在することの練習です。藤田一照さんという禅僧の方は、呼吸に注意を向けることに加えて、自分を取り巻くさまざまな音にも気づくということを勧めていました。音に注意を向けることで、自分の内側だけでなく、外側にも意識を向けることができます。ただし、あの音は何だろうと思ってそれのことを考えはじめたりすることなく、ただ注意を漂わせておくことが肝要です。それが何かとか、あるいはいいとか悪いとかいった判断や評価をすることなく、「今」起こっていることにただ気づいておく、というのがポイントです。

他にも、散歩の時に「歩く」ということだけに集中して一心不乱に歩くことや、掃除や(マインドフルネスの練習にはやっぱりホウキや雑巾がいい気がします)洗い物の時などにそれが世の中でもっとも重要な事柄だというような気持ちで取り組むことは、マインドフルネスのいい練習になります。頭で考えないとできないような作業はマインドフルネスの練習にはあまり適しませんが、シンプルな作業に、効率を求めず、静かな気持ちで真摯に誠実に取り組むのであれば、さまざまなことがマインドフルの練習の機会になります(でも静かに座る時間をちゃんと取ることは重要ですが!)。

マインドフルネスを練習することで、気持ちの安定が保てたり、集中力が養われたりします。ただし、元来の仏教の考えでは、大事なのは効果のあるなしや役に立つ立たないではないとされています。物事を頭で判断したり評価したり思い悩んだりするのではなく、マインドフルな状態で世界の中に存在しているその時間こそ、自分が真に自分自身として存在できる時間だと考えられているのです。こんなことを言われると、効率や有効性で物事を判断しがちな現代人である私たちは、何を言っているんだと思いがちですが、考えてみれば、私たちが何か「役に立つ」ことをするのは私たちが自分の生活や人生をよりよくするためであるはずなのに、その肝心の生活や人生が「役に立つ」ためのたくさんの活動に埋もれてしまうのでは本末転倒ではないでしょうか。そのまま自分自身としてただ存在するという時間は、慣れてみると、それ自体として豊かで貴重な機会です。

 楽天ブックス:マインドフルネスストレス低減法
ジョン・カバット・ジンによる、マインドフルネスの原点と言える本です。